【ナビ記者通信】飯田の御用水

作成日:2021年5月16日

飯田の御用水ですが、元々は羽場南部地区の灌漑を目的として作られた井水です。当初は「上飯田井」と呼ばれていましたが、城下町から飯田城内へも延長されて「御用水」と呼ばれるようになりました。今回観光ガイドの会でその水路を訪ねてみたので、ご紹介いたします。

取水口は松川で、妙琴浄水場の少し下流、多摩川精機の崖下辺りです。5-13 取込み口 465取水口は慶長8年(1603年)に、一升枡大の口を開けたのが初めとの事です。では水路を辿ってみましょう。少し下った所に水神さまが祀られています。(取水口は画面左奥です)

5-13 水神 463更に下流に進むと、大雨などの急な増水時に水量を調節する水門があります。
5-13 調節水門 7472
5-13 調節水門 470羽場赤坂辺りから、松川とはだんだん離れていきます。さて、この先の中央道はどう通過しているのでしょうか?

5-13 水路橋 476水路橋で渡っていました。
5-13 水路橋 475

橋の上は、人が歩いて渡る事が出来るようになっています。

5-13 御用水路橋 478の先は階段状で下り水路が続きます。

5-13 御用水 479-2

かつては田畑だった所も今は住宅街です。その一角に記念碑があります。

5-13 水路 508-2何と書いてあるのでしょう。読めますか?
5-13 由来版 507

この先は殆どが暗渠になっていて次に水面がみられるのは、曙町のAコープの付近です。この辺りは、昔とあまり変わっていない様ですね。

御用水 516

ここを過ぎるとまた暗渠。飯田線の線路下を通過し市街地へ。通年ではない様ですが、リンゴ並木の所にも来ています。写真は以前撮ったもので、今の時期 水は止まっています。

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赤門の前の水路。かつては城内まで御用水が行っていましたが、此処も今は来ていません。

御用水跡 364

城内では既に埋められた水路もあります。でも、この下に御用水が通っていたという印があります。斜線でペイントされている所がそれです。(写真は、以前城跡を散策した時の物です)御用水跡 354では今の末端は?かつての復興記念館(現 橋南公民館)下に放流口があります。此処から下に流れる水路で、松川に戻るのです。この日の水量は僅かでした。

5-13 御用水 501

水道が無い時代、御用水は灌漑用水であると同時に、人々の大事な生活用水でもあった訳ですね。先人の知恵と努力の跡を見たと思いました。

(5/13 撮 ナビ記者)

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