[ナビ記者通信]浪合地区の桜

作成日:2016年4月21日

以前は浪合村でしたが、合併があり今は阿智村浪合です。ここの桜は今が見頃(ピークは過ぎています^^;)
首検分碑の桜もピークは過ぎていました。
4-19 ①首検分碑の桜 78
形の良い枝垂れ桜ですが、樹齢はよく分かりません^^;電線もちょっと邪魔ですね~。
4-19 ②首検分碑の桜 80
この場所はその昔、織田信長が武田勝頼親子の首を検分した所。碑にはこう書かれています。
『首検分の処 天正十年春三月一四日 織田信長 光秀を従え此の地に出陣 武田勝頼 信勝 父子の首を検分する』
勝頼親子は山梨の天目山で自害したが、信長軍はその首を取って信長に届けた。それがこの場所、と言われています。
③4-23 首検分の桜62
そこから道なりに進むと、新御所桜があります。樹齢250年ほどで元気です。
4-19 ④新御所桜 72
周りが区画整理中?環境が変わっていましたが、桜はしっかり保護保存されている様です。
写真の右手奥に御所桜があります。
4-19 ⑤新御所桜 71
樹齢は350年程との事ですが、もう老木ですね~。(写真は去年の物です)
⑥4-23 御所桜 57
御所と言われる所以ですが・・・南北朝時代、後醍醐天皇の孫 尹良(ゆきよし)親王がこの地で戦死したと伝えられています。皇族が居た所を御所という事から、この地にも御所平という地名が残っています。
浪合神社入口の横に浪合小学校が在ります。ここにあおいの桜があります。樹齢130年程のヤマザクラで、明治16年の学校創建時に植えらました。阿智村天然記念物になっています。今は珍しい二宮金次郎像もあります。
4-19 ⑦あおいの桜 11
神社への石段横にソメイヨシノがありますが、残念ながらテングス病になっていました。
4-19 ⑧浪合神社 99
浪合神社は尹良親王を祀った神社で、宮内庁管轄の墳墓もあります。
⑨1-16 浪合神社 79
更にこの様な物も!浪合は一心流鎖鎌発祥の地なのです。
武道史の源流をなす念流の始祖は「念阿弥慈恩」(ねんあみ じおん)と言われています。奥州相馬(福島県南相馬市)の生まれですが、諸国を回って浪合に移り住み修行したのだそうです。鎖鎌は、夢の中に右手に鎌、左手に分銅のついた鎖を持った神が現れた事によって開眼したとの事。
⑩1-16 浪合神社 74-3
その浪合神社に立ち寄っての帰り道で、「光信おじいちゃんの水仙畑」という立て看板を見つけました。車を止めて写真を撮っていると、ご本人登場^^せっかく寄ってくれたんだから、と案内してくれました。看板の所だけかと思ったら、奥の斜面にも沢山の水仙。種類も色々。
よかったら持ってきな、と言って株まで分けてくれました^^
4-19 ⑪水仙畑 46-4
浪合地区、結構好きな場所です^^

(4/19 撮 ナビ記者2)

関連記事を見る