[ナビ記者通信]飯田城遺構巡り(9月のガイド会現地研修)
作成日:2017年10月3日
月が替わってしまったので、もう先月の事になってしまいました^^;飯田観光ガイド会の現地研修、9月は飯田城の遺構巡りでした。
今回の講師は、飯田美術博物館学芸員の桜井先生。美博は飯田城二の丸跡に建っています。
此処で先生から、安富桜についての指摘事項が!この桜の場所ですが、家老職を長年務めた安富家の庭になるのでその名になったと言われていますが、正確言うと其処は安富家敷地の外になる、との事。
とは言え、まあ近くに在ったでこの名でも良いでしょう。しかし、推定樹齢450年と言うのは有り得ない。この場所の整備が行われたのは凡そ420年前になるので、それ以前からあったとは言えない、と指摘されました。
後々考えてみたのですが、城内に小さな1年物以下の桜の苗木を植えるでしょうか?最初から見栄えの良い数十年物を植えた可能性は高いと思われます。そう考えれば推定樹齢450年と言うのはあながち間違ってもいないと思われます^^;
本丸の跡には長姫神社があります。此処には12代に渡って飯田城主を勤めた、堀家の始祖三代の霊が祀られています。それにちなんで御三霊とも言われています。
今回は写真だけですが、その御本尊を拝見する事が出来ました。本来は拝観不可ですが、先生方の調査と言う事で特別に許可されたとの事。像は写実的ですね~。初代城主となった親昌(チカヒサ)公(3代目)の像です。両脇にあるのは先代の遺品で、軍配、軍扇、が収められている様です。
飯田城の敷地は大変広く様々な建物があったのですが、廃藩置県の際跡形もなく壊され、発掘調査もままならない…と嘆いておられました。
確かに建物で残っているのは桜丸御門(通称 赤門)位で、その他はお堀跡とか石垣程度です。
御用水の跡はそこそこに見られます。赤門の前にもありますが、水路の石垣はその後の物との事。
また、駐車場などの舗装面に印のペイントを施した所もありました。説明を聞くまでは、意味不明でしたが^^;
石垣はそこかしこに残っています。長姫神社前、駐車場の金網の外側に当時のまま残っています。
又神社の裏側にも!当時はこの上に白壁の土塀があったとの事です。
二の丸跡には見事な物が残っています。此処には水の手御門があって、通路になっていた為でしょうかね。この石垣工事には、伝説の力持ちが加わりチャッチャと積み上げた、との話も伝わっています^^
門の跡には伏見稲荷が祀られています。元々は出丸に在ったものを移したとの事です。
二の丸と本丸の間には、お堀が残っています。石垣は元々無く、水の無い空堀との事です。二の丸には美博以前に飯田長姫高校がありました。高校のグランドは城の下にあったので、その城下グランドへの通路となっていました。
出丸と三の丸の間には欅掘りがあります。当時は水堀でしたが、今は道路になっています。
出丸には現在追手町小学校があります。お堀の一部は小学校の地下室になっています。
上から見ると、当時の石垣の上に新しい石垣を作って整地したと分かりますね。
(9/27 撮 ナビ記者)
タグ: