[ナビ記者通信]いま宮澤芳重(ヨシジュウ)
作成日:2016年2月1日
宮澤芳重さんは有名人ではありません。地元でもその名を知っている人は少ないでしょう。
昔NHKが取り上げ「地蔵になった男」のタイトルで放映したそうですが、私は観ていません。
漠然とですが、飯田高校の天文台造りに貢献した人、として知っていた程度です。
今回 『いま宮澤芳重』とのタイトルで、その人生を紹介する催しがあったので行ってみました。
会場は飯田美術博物館です。没後45周年の記念事業でした。
それによると・・・
明治31年、松川町生田の山間部で農家の長男として生まれました。
向学心が強かったのですが、高等科へは行かせてもらえず。
でも本が好きで、暇さえあれば読書に勤しんでいた様です。
20歳の頃家出同然で上京。貧困生活の中、人生の殆どを勉学に費やしたそうです。
仕事は日当240円のニコヨン。ニコヨンの語源を初めて知りました^^;
高等科へ進めなかった彼は、郷里に総合大学をとの思いから日当を貯めては郷里に送り、郷立飯田大学の設立を訴え続けました。国立でも私立でもなく、地域がつくる郷立大学。
彼が興味を持って学んだのは、主に天文学だったそうです。飯田高校に天文台を!との思いから寄付金も送り続けました。
飯田図書館や松川の小学校に本も寄贈しました。
全ては生活費を切り詰めての寄付です。
彼は体を医学に役立てるため献体登録し、昭和45年11月、72歳で亡くなりました。癌だったそうです。
飯田高校の天文台は生前に完成していますが、郷立飯田大学は未だ形になっていません。
彼の人生は凄まじいものです。住まいはバラック建て。結婚もせず浮浪者同然の生活。
そこから寄付金を捻出し、贈り続けたのです。
彼の死後、松川町の地元の人達は彼の地蔵を建てました。
その芳重地蔵は、彼の母校でもある松川東小学校を見下ろす高台に在ります。
その東小学校は、生徒の減少により今年の3月に閉校します。
当日の様子を関係者の方が Facebook にアップしています。こちらも参考に。
https://www.facebook.com/miyazawa.yoshijjyu.jizou/
地図は芳重地蔵がある松川東小学校です。
(1/30 撮 ナビ記者2)
タグ:ナビ記者通信